認知的不協和
justification
素人が臆面も無く
認知的不協和
人は自分の意に沿わないことをやらざるを得ない、やってしまった後に不快な気持ちになる。
心は不安定な状態を嫌いそれを修復しようとするが、やってしまった現実(事実)
は変えようも無いので心のほうで、その行為を行った合理的な理由を見つけ出し、
1つの解釈を与えることで安定を保とうとする。そして見つけ出したその理由に何の疑問
も感じず信じこむ。
『強制による外面的承諾だけでなく、本当の意識変化ないし態度変容を得たいと望むなら、むしろ外面的承諾をやっと引き起こせる程度に、賞や罰を与えるのが最良の方法である』
学生を使った有名な実験:
学生達を2つ(対照群も含めると3つ)のグループに分け、片方には高額な報酬を与え、もう片方には僅かな報酬を与えて、
全く同一の単調でつまらない仕事を依頼する。ただし条件があって仕事の終わった後には次にその作業をする学生には
「面白い仕事だった」と勧めるように約束させる。実際はここまでが仕事で、その後、学生に本音の感想を聞く訳だが
結果はどうなったかというと、高額な報酬をもらった学生は「つまらない退屈な仕事だった」という感想を述べ。
逆に僅かな報酬しかもらえなかった学生は「結構面白い仕事だった」という感想を持つ。
細部は違っているかもしれないが、確かこのような内容の実験だったはず。かなり有名な実験なので説明不要だろうが、
同じ仕事をしながらも、高額な報酬をもらった学生は、意に沿わない行動をした理由を金の為だったと『外的正当化』
出来るので心は不安定にならず、仕事自体のつまらなさの意識に変化は無いが、僅かな報酬しかもらわなかった学生は、
『外的正当化』出来ないので、意に沿わない行動をした理由を「面白い仕事だからやったのだ」と『内的正当化』する事で、
心の安定を図ろうとして、「面白い作業だった」という意識に変化している。
フェスティンガーの言う『外面的承諾をやっと引き起こせる程度に、賞や罰を与える』事で
『意識変化ないし態度変容』が起きている典型的な例だからか、認知的不協和というと必ずこの実験の話が出てくる。
バッタを美味しく食べる方法
バッタと言っても調理したやつでは無く、「生のバッタ」の話。
軍のパーティーかなにかで、上官達が部下達に生きているバッタを食べさせる。
軍隊なのだから、たとえパーティーの余興で上官からの依頼であっても
命令と同じようなものだから断れず生のバッタを食べ(させら)てしまう。
同じ上官達であっても、部下達にとって『好きな上官』や『嫌いな上官』がいる。
それぞれの上官から依頼(命令)されて食べた部下達にバッタを食べた後に感想を聞くと、
ほとんどは「不味かった」という感想になりそうだが、「案外美味かった」という感想も多かった。
『好きな上官』と『嫌いな上官』のどちらからの依頼(命令)で食べさせられた場合に
「案外美味かった」と答えたかというと、意外な事に『嫌いな上官』から命じられた場合がほとんどだった。
『好きな上官』から言われて食べた場合は
「美味かったか?」
「不味いに決まってんだろ」
「で、なんでバッタなんか食べたんだ?」
「あの上官は好きだから断れないよ」…と不本意ながら行った行為の『外的正当化』が可能なので、
『認知的不協和』は起きず「不味かった」という意識を変える必要は無い。
『嫌いな上官』から言われて食べた場合は
「美味かったか?」
「美味かったよ」
「で、なんでバッタなんか食べたんだ?」
「美味いからに決まってるじゃないか、案外いけるぜ」
『嫌いな上官』から言われて食べた場合は、不本意ながら行った行為の『外的正当化』が出来ないので、『認知的不協和』が生じる。
それを低減させる為に『内的正当化』、つまりこの場合は「バッタは美味かった」と意識を変容させる事で、心の不安定な状態を修復した訳だ。
実験心理学は現在は倫理規定を設けているようなので、この話が実際に
実験として行われたかどうかは不明だが、あまり出てこない話なので書いてみた。